「書は金がかかりすぎる」は作品が売れないから 「墨」192号より


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書に金がかかるのは師匠だけの責任?

今回も2008年発売の芸術新聞社「墨」192号 書道展がまるわかり より抜粋しています。

今回は、書評論家 堀久夫氏の「常識と非常識の間で」連載44回からです。

お金がかかる仕組みは先生だけではどうにもならない大人の事情が絡んでいるようです。

「お金がかかりすぎる」

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こういう業界の慣行に疑問を呈する記述は見たことがないので少数派だろうと思います。

業界紙なのでストレートには書けないとしても、言いたいことは十分に伝わります。

お礼は実は指導してくれた先生の収入になっているとは限らないのです。

大手公募展の賞歴は業界内で公のプロフィール&通行手形のような役割も果たします。

そのため大手公募展の配下に所属している団体の生徒さんたちは

「賞歴がほしい。」「受賞生徒の多い先生を師事したい。」という希望は多いと聞きます。

(これは書だけじゃなく音楽、芸術、スポーツ全般に言えることですね。)

上位役員になればなるほど負担金が高くなる

書家/書道家の最大の収入源は指導の対価としていただく生徒からの月謝です。

そのため、生徒の増減は教室の運営に不可欠な要素の一つです。

日頃の生徒への指導はもちろんですが(実力がないと推しても無意味なので)

審査をする先生への日頃からのお付き合いなどを先生だってしないといけません。

先生が審査会員であっても、審査は数年に1度回ってくるだけだから、

安定して自分の団体(社中)から受賞者を出すためには、色々と費用がかさみます。

上手くやると審査会員→役員→上部団体の審査会員→役員…と出世していきますが

集まる生徒もより高い賞歴を期待して師事しますから、より多くのお付き合いを必要とします。

「賞歴に依存しない書家経営を」とのこと

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書評論家 堀氏

作品の販売ができる仕組みが命綱(生徒がいなくなっても食っていける)

→書作品を見てもらえる書展以外の場が必要(「書に魅力がある」という前提)

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つまり、学ぶ人からの月謝に依存しては賞歴に振り回されるので、

収入源を分散し、鑑賞者からも資金を集められるようにするべきということでしょう。

ただ、前提に「書に魅力があり、知ってもらう啓蒙活動が不足している」ということがあります。

私の活動は、ここが分岐点になっています。

書は庶民に最も理解が進んでいる芸術分野

義務教育で毎週必ず書を学びます。

書道ほど、しっかり授業時間が確保されている芸術授業は他にありません。

書の啓蒙活動の時間は他の分野に比べると多いはずです。

これ以上、啓蒙活動するのは他の講義など含めると時間的に難しいのではないかと思います。

理解を深めたい文科省の進める現在の書道教育の時間を変えるといいかなと思います。

綺麗な書き方はペンで練習した方がよくない?

少し話が脱線します。

江戸時代の寺子屋で、書は当時の筆記具であった毛筆での文字の書き方を学ぶものでした。

現在は毛筆で、文字の書き方ではなく書道業界?の提唱する”綺麗な”書き方を学んでいます。

今、文字を覚えるために毛筆を習う子供はいないでしょう(先に鉛筆やペンで学習するから)。

綺麗な字の書き方を学ぶのであれば、日常の筆記具のペンで学ぶのが自然だと思います。

寺子屋と同様に書道の授業で和様 御家流はどう?

明治時代は江戸否定ですから江戸時代の公式書体の御家流(古文書の書体)はすぐ忘れられました。

明治政府が中華式の唐様を公式書体とし、明治33年に1字1音にした(50音統一)ことが原因です。

近代化のため、教育の基板となる情報技術の普及には、多すぎる仮名は不要だったでしょう。

(江戸時代時点でも、日本人の識字率は世界最高であったと考えられています。)

しかし、現在、情報技術はPCでの打ち込み、将来は、音声変換になるのかもしれません。

日本の学校教育において、今、中華の、しかも、中華でも使わない毛筆の唐様を学校で学ぶより、

伝統ある江戸時代の和様「御家流」を学ぶほうが日本文化の理解にも意義があると思います。

もちろん道具も大筆ではなく実用性の高い小筆です。

作品販売にはオリジナル性が必要(だと思うの)

話を元に戻しますね。

「書が売れない」のは、「一般人が書の理解度が低い」から「知らないから」という論説はよく見ます。

でも、これは、前述したように、書は他分野に比べて理解されている方です。

更に理解してもらう努力は継続する人と、理解されやすいアプローチをする人が必要なんだろうなと思います。

全員が現在の唐様に集中し毎日や日展を目指すだけしかない現在は選択肢が少ないとも言えるし

毛筆文化という巨大市場が、一部の評価基準に独占されすぎているのだと思います。

評価の多様性がないと作品の多様性や独自性(オリジナル)は生まれにくいと思います。

逆に、テストに出るところを要領よく学ぶ人が評価される今の書道業界の姿は良くも悪くも自然です。

ただ、堀氏が指摘するように、書でもヒエラルキーではなく、芸術分野(作品販売)で生計を立てるなら、

大なり小なりの「この人の作品だ。」とわかる特徴は必須だと思います。

(たぶん、大字のかな書や墨象も、そういう勇気ある野心から発生したのだと想いますよ。)

ささやかに私も具体的に行動している1人かと思う

私は、現在の書道界のヒエラルキーには所属していません。

でも、割りと楽しみながら具体的に業界のことを考えていたりもします。

それを自分を実験台にして、具体的にポツポツやっていこうと思います。

もしかしたら、今やっていることが将来振り返ったら、凄いアイディアだったりするかもしれません!

そう思って、やってないと割に合いません(笑)

 

image6 ←全体記事はこちら

大手公募展「一見さんお断り」なのは常識  2008年「墨」192号より |

来年の受賞作が書く前から決まっている業界の仕組み

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