「御家流であらざれば書にして書にあらず」という風潮

 

 

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私が「江戸時代と明治時代では、書が全く違うものだよ。」と説明しても

私のような亜流にいる書家には説得力がない!

そこで、皆さんが信用している書家の言葉を借りて説明をしよう!

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「御家流であらざれば書にして書にあらずという偏見が、一般の頭脳に留まっていたことは事実」

日下部鳴鶴はあの「六朝書道論」に書いています(画像クリックで拡大 うどよし所蔵)。

日下部氏は、江戸時代には、「唐様(≒現在の書道)は書ではない」と思われていたけども、

明治に入って、自分たちの唐様が主流になったということを書いています。

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そして、同書籍で前田黙鳳

「明治初年に政府が御家流を廃止せずとも、
自然に御家流の滅亡に近づき来たれることを想像することが出来る。」

と書いていることから、自然淘汰ではなく、
政府主導で御家流が廃止されたことが伺えます。

併せて、御家流が平穏無事な時代に発達したから、
無気無力で弱い書体は維新で沸き立つ国民には好まれなかった(超意訳)

と記述するなど、明治維新の時代背景も書に影響したとの記述もあります。
つまり、国民の書き文字の流行は、国民心理を表すということでしょうかね。

ただ、自分たちの書の優位性も強調している点で
逆に、懐疑的になってしまうのは深読みしすぎでしょうか?

 

現在は、「唐様」「和様」という表現をする人は、ほとんどいないことを考えると

当時の唐様の書家は、江戸幕府の公式書体の御家流へのライバル心のようなものを感じます。

江戸~明治にかけて、ペンの普及までは、書は最先端の情報技術なので政治と密接な関係にあります。

明治の人が、書き初めや大筆で書を書く姿を見たらびっくりするでしょうね(笑)

【ざっくりな書の流行】(不勉強な部分があればご指摘を!)

(江戸期)御家流→(明治期)菱湖流→六朝書道派と顔真卿派→(昭和期)初唐の三大家→現在に至る

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