【昭和初期】ポストの数より書道教室の看板が多かった

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コンビニより歯医者の数が多いという揶揄は聞きますが
(2011年全国統計でコンビニエンスストア店舗数の1.6倍)

書道教室の看板がポストより多かった時代があったそうです。

ソースは2次資料になりますけども

「日本書道教育史 著 奥山錦洞  清教社」(昭和28年発行)からの抜粋です。(画像クリックで拡大)

街を歩けばポストの数よりも書道教授の看板の数がはるかに多い(昭和12年 雑誌「書道」)

東京都下に1500の書道塾がある(略)大阪においては市内に1000余の諸塾がある(昭和18年 東亜書道新聞)

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1920年 都内に370万人(日本全体5600万人)いたというソースがあるので

2470人に1軒の書道教室があったということになりますね。

また、その後の記述に、技術の乏しい書道教室が存在していて問題になっている点や

学校の習字と書道教育で矛盾が生まれていたり、
(こういう雰囲気が、後の筆順を決めた「筆順指導の手引」の発行に繋がるのかな?)

花魁(現在の風俗嬢)が習いに来てたりと面白い雰囲気が伝わってきますね。

さて、この書籍をどこまで信用してよいかわかりませんが

発行された昭和28年(1953年)で850円(大卒初任給1万円 現在で2万円程度?)もするのですから

専門書であり、いい加減に出版したとは思えないので信用することにします(笑)。

【余談】

「GHQにより戦後一定期間 書道は禁止されていた」という噂がネット上にあるのですが

実は、調べても明確なソースが発見されず・・・(笑)

確かに、小学生は、毛筆習字が廃止になった(昭和22年~25年 26年に「習字」復活)とありますが、

4年生以上の自由研究では毛筆習字をして良いという記述がありますし

中学校では選択教科に「習字」が入っています。

書道が政治的に禁止されたと受け取れる表現はありません。

もちろん、時期が時期なので上に配慮した表現かもしれませんけど・・・。

ソースが無いまま、極端な噂がひとり歩きしている疑念も出ました。

また、時間があれば調べておきます。

和様 書家 うどよし 公式ページ 東京の書道教室 和様 うどよし書道教室

【昭和初期】ポストの数より書道教室の看板が多かった への1件のコメント

  1. ホンマ コホウ

    私は、昭和21年に国民学校1年生として入学しました。敗戦で物資不足、教科書もなく、全て先輩からのお古で、しかも墨で塗られた、乃至は塗った(もらった教科書を授業で塗ることを指導された)ものでした。1年生の教科書はカタカナから始め、2年生から平仮名の学習でした。習字の授業は昭和22年の途中からなくなりました。そして復活したのは昭和26年、6年生の途中から復活したのです。(後年調べました。今、手許に資料がありませんが)GHQの指令で、日本文字そのものも「使うな!」という、ローマ字論者と共にの主張で、仮名、平仮名、漢字、敬語などの使用が「日本の科学が遅れる。封建社会の根源は、全て言語にある」ので「ローマ字にせよ」と主張されたという事です。学校の指導要領にもそのようにして指示し、24年から「ローマ字」が授業に入りました。書道界の豊道春海、尾上柴舟らが全国組織を興し、請願の結果、なんとか「自由研究」という形で残された、と。学校での実際は「自由研究」があっても、教科書がないので、ほとんどの学校では習字の授業は行われなかったのが、現実だと思います。

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