和様「御家流」は明治政府によって政治的に排除された?

「御家流」と「唐様」

「御家流」と「唐様」

facebook上で友人(書道関係者ではない)とやり取りをしていたら

彼がこんな論文を探してきました。

http://www2.kobe-u.ac.jp/~shuichin/scbdmmt/pdf/journal1-2.pdf

神戸大学 表現文化研究会(2011年3月に閉鎖)の2001年の論文です。

『江戸時代における「御家流」と「唐様」』(青山由起子さん)と言うものです。

私と同じ考え方を論文で見たのは初めてだったので、少し安心させてもらいました(笑)

和様についてカンタンに整理しますと

・和様の中に仮名書が含まれ、これを“上代様”といい和様の一部にすぎない。

・最も普及したのは寺子屋で教えていた江戸時代の“御家流”。「御家流でなければ書にして書にあらず」と言われた。

・明治政府が唐様“菱湖流”を採用し“御家流”が最後の和様となり現在に至る。

・現在の書道界が唐様主流であり、唐様が、上代様を重用したため、“御家流”の現在の評価は非常に低い。
書関係の展示で史上最大規模だった和様にもかかわらず触れられないことも多い。

と言う流れです。

こんな感じなので、明治政府が唐様(菱湖流)を採用したのは、2点あると想像していました。

①明治政府にとって江戸幕府が使っていた情報技術の御家流は敵の文字だから。

②欧化政策において文字は、単体の活字が必要で、続け字である御家流より楷書の方が適している。

しかし、①の理由が主体であるように思います。

明治政府になって政治の中心の太政官の文書課には、

巌谷一六、日下部鳴鶴ら唐様を書く人々を採用しています。

現在もそうですが、採用する側は、自分の都合の良いメンバーを意図的に選ぶわけですからね。

これで宮中府中の文書は唐様で執筆されるようなり御家流が一気に排除される原因となったと思います。

②は結果的に活字に合う書体は楷書しかなかったので楷書を引っ張り出しただけでしょう。

今、私たちは「書道」と読んでごく一部の趣味の人の遊びとなっていますが

この時代には、現在の携帯やメールに匹敵するものが書だったのです。

日本の情報技術の大変化が起こったキッカケは、実は、明治維新だったわけです。

この辺はテストに出てもよさそうなんですけどね(笑)

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