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このページはうどよし書道教室の英語ページです。

■うどよし書道教室が現在、唯一の和様専門
「うどよし書道教室」では、先人の歴史、欠点を分析し、かつ、初心者でも楽しめるように道具や筆使いを見直し、新たに開発した現代風の“和様”を教えている日本で唯一の和様専門の書道教室です。

■当教室で可能なこと。
・和様の書道体験(1回約1時間3500円/人 2名以上~最大8名 要予約)。
・ハンコ用の石に名前を彫る篆刻も可能(1回約1時間5000円/人  2名以上~最大8名 要予約)。
・デザイン依頼(前金 $500~)。
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■書道とは?
書道は、文字や文章を墨(腐食、劣化に強い煤から作った黒インク)を筆に付けて和紙に書くものです。
主に漢字圏(現在の日本、中国など)で20世紀初期まで実用で使われた情報技術です。
ペンが登場したことで、実用から芸術作品として評価されています。
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■「漢字」は日本語のたった30%
日本語は、「漢字」「ひらがな」「カタカナ」の3種類の文字を交ぜて使います。
(「ひらがな」「カタカナ」は、中華の「漢字」を簡略化した日本独自の文字です。「漢字」には中華大陸から輸入したものと日本で発生したものがあり、中国に輸出されたものもあります。)
「日本語=漢字」という印象を持っている外国人が多いですが、日本語の文章中の漢字の比率は30%程度です。
残りの70%のほとんどが「ひらがな」なのです。

■「ひらがな」ができたら日本語は書ける
「ひらがな」「カタカナ」は、アルファベットのようなもので各46文字しかなく、1字1音なので、英語のようにアルファベットの組み合わせで発音は変わることはありません。
「ひらがな」だけの文章なら、46文字覚えれば、読めて書けます。
日本人でも難しい「漢字」には「ひらがな」のルビを打ちます。
もし、漢字すべてにルビが打たれているなら「ひらがな」だけの文章になりますので「漢字」が入っていても読めるのです。
日常会話程度の筆記なら、「ひらがな」で十分です。
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■外国人を含む初心者を想定した新しい書道
実は、日本で主流の書道は、漢字中心の中華式(“唐様”と言います。)。
日本独自の文字の「ひらがな」は苦手です(詳細は後述)。
そこで、外国人の方でも楽しんでもらえるような新しい日本式の書き方を作りました。
中華式の唐様に対して、日本式の書を“和様”と呼びます。
→体験したい方はこちら(リンク)

■日本人が読めない日本の書道の不思議
書道は文字の芸術なので、“日本人が書作品を読める”と思っている人が多いです。
現在、日本の書道は、唐様が主流で、普通の日本人には読めません(現在の中国人も読めないが・・・)。
これは、19世紀末以降の日本の歴史が大きく影響しています。
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■和様から唐様へ 和様の衰退
17世紀初頭から260年続いた武士の平和な長期安定政権(江戸幕府)のおかげで、現在の小学校にあたる寺子屋を通じて和様“御家流”が庶民にまで普及します(当時の識字率は世界1位だったようです。文字が普及していたため、歌舞伎、相撲、浮世絵など日本を代表する文化が発展します。)。
そして、19世紀末、欧米のアジア侵攻の影響で、日本の統治権が武士から天皇に戻ります(江戸幕府は天皇から日本の統治権を委託した状態)。
その時に、天皇政府が、中華式(唐様“菱湖流”)を公式書体として採用します。
これにより、10世紀初頭から約950年間続いた日本式の書”和様”が20世紀初頭に衰退します。


■近代化で筆からペンへ 毛筆の衰退
19世紀後半以降のアジアは、欧米列強国に植民地化されていった時代です。
日本は独立を維持するために経済、軍事の両面で急激に西洋化します。
そのような中、情報技術としての筆記具も筆から鉛筆、万年筆などのペンに変化します。(日本でメカニカルペンをシャープペンと呼びます。現在の㈱シャープが世界で初めて1915年に実用化に成功したことが由来。)。
公式書体の毛筆の唐様でしたが、ペン時代到来により1900年に書が学校教育の単一科目から国語の一部に格下げされます。
現在、ペンからキーボード、タッチパネルになりつつあるように、当時の筆は、筆記具の地位をペンに奪われたのです。

■実用性を捨て芸術分野で発展した唐様
和様と毛筆の衰退がほぼ同時に発生したため、実用で使われてこなかった唐様は、日本らしく日本語を書くスタイルを作り上げていく時間がありませんでした。
(ただし、1900年に政府は多数あった「ひらがな」を現在の1字1音(当時は50音)に絞り込みます。また、現在の唐様の「ひらがな」のスタイルは、この頃に整理されます。)
逆に、唐様は、実用に不可欠の可読性を捨て表現の自由度を得たことで芸術的発展を遂げ、有力なスポンサーの登場で日本国内で確固たる力を持ち始めます。
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■日本の大手新聞社が書道団体をスポンサー主力芸術へ
第2次世界大戦後は、米国により書道の活動は禁止となっていましたが、1948年には、とうとう書が日本最高峰の美術展“日展”に採用され、名実ともに芸術の仲間入りをします。
直後から大手新聞社がこぞって書道団体のスポンサーとなります。
その後、主力の習い事になり競技人口も1500万人といわれた時期もありました。
現在でも、日展の総出品数の70%(10000点)が書作品です。
大規模な美術館では書展が実施されない日はないほど日本の芸術・美術に不可欠な存在です。

■新たに読める書道“和様”を作る
唐様の書道ビジネスが活況の中、20世紀半ば頃には、読める書、つまり、和様の市場性に気付く人が出てきます。
しかし、第二次世界大戦後までの西洋化で、毛筆離れと活字に慣れた日本人には、続け字だった100年前の和様は、唐様同様の読めない書になっていました。
「和様復活=新しい和様の開発」が必要なのですが、可読性を捨てて発展した唐様は、唐様の芸術性を保ちつつ一般人が読める書を作り出すことが困難でした。
それでも、数名の人気書家や書風は存在しました。
しかし、他人に書き方を教えられるノウハウが無かったり、芸術性を求めた結果、読めなくなるという本末転倒な結果になってしまったりと、未だに和様に当たるものが存在していません。

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