「内閣人事局」の看板が酷い→検証→手本が悪いと判明
稲田議員を擁護してみる。
稲田朋美議員の書いた「“内閣人事局”の看板が酷い」と地味な話題になっています。
今回、稲田議員 擁護の立場で解説したいと思います。
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木に書くのは難しい。
「弘法筆を択ばず」ということわざは、
「書の上手な人はどんな道具でも上手い。」
という意味ですが、おそらく実態は
「弘法は各場面によって最適な筆を選んでいた。」
ということだと思います。
書の道具のことを「文房四宝」と言いい、
「筆・墨・硯・紙」(ひつ・ぼく・けん・し)を指します。
文房四宝の組み合わせで書表現の可能性の幅が確定します。
今回の看板のような木は、墨が繊維に入り込まないように
研磨されたり、とのこを塗ったりして平にしています。
紙と同様に書けるとは限らない点は知っててください。
指導側視点「下手ではない」。
書をみて、稲田議員は、話題になるほど下手なんだろうか?と感じました。
私の生徒の唐様(一般的な書道 中華式)技術の水準から見て、低い方ではありません。
一般の方は、形で上手い下手を見るでしょうけども、短時間で指導する必要がある場合、
形の修正は色々な方法(テクニック(笑))で可能です。
ただ、線質だけは一定の時間が必要で、つまり、線質以上の書に仕上げることは、どんな指導者でも困難です。
私は稲田議員の線質は、無作為で選んだ中年100人中20位だと思います。
形を変えるだけで、どのくらい変化するのかインターネット書道配信の投稿作品と
同じ添削手法で稲田議員の書「内閣人事局」を組み直ししてみました。
組直しで良くなる書は短期修正が可能がある
本人の書(線質)をそのままで、線をバラバラにして組直すだけでどれくらいの変化を見ます。
確認することが可能です。
どうでしょうか、ずいぶんと良くなったと思います。
(「閣」の右が反りすぎているのは、あえてそのままにしました。)
私の生徒のレベルの書で修正に最も時間が必要なのは線質です。
稲田議員の場合、線質は悪くないので、ラインを正しく誘導してあげるだけで
一般的な評価はあげられると思います。
今回、手本の選択ミスか指導の方向性のズレ、指導時間は相当限られていたなど
想像はできますが、あと+1時間指導できたら、より良くできたとは思います。
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指導者と手本の選択は正しかったのか?
もし、あなたの社会的地位が高く、不得意な書を書かないといけない場合、
「指導者と手本を用意してほしい。」
きっと、こういう指示をすると思います。稲田議員も指導の先生を付けたそうです。
大手書展では、師匠の手本を貰って書いている場合も多いので、手本に違和感はありません。
(公募展に出す作品の手本をもらうって点は、問題がないわけではないけどね)
この書が生まれた背景に以下3点のチェックポイントがあるかなと思います。
①指導者の選定 →目的の書を達成するために最適な活動をしているか(知名度は不要)。
②指導者の指導経験 →目的の書の指導経験があるか(できたら現役)。
③指導者の手本 →書き手の技量に適しているか(書道業界と世間では評価にズレがある)。
これらのどこかでなにかあったのかな・・・と想像します。
普通の楷書ならアーティスト書家より習字の先生
公共機関はメディアの影響を受けやすいため、知名度や権威でオファーをすることが多いです。
結果論なので、卑怯な立場での話で申し訳ないのですが、今回は普通の楷書が目的なら、高校や中学の書道教員や街の習字の先生が最も得意な書です。
現在の公募展の書展では、みなさんが学校で習った楷書はほとんど出品されません。
出品されたとしても、顔真卿などの明治時代に支持された特徴のある楷書です。
一方、アーティスト系書家は、表現は雑ですが「目立ってなんぼ」なので差別化を模索します。
今回、指導された先生がどのような手本を書かれたのか確認はできませんが、
アーティスト側の活動が多い人は、素人に困難なデザインを入れる可能性があります。
そう感じる部分は「after」では修正していますが、「内」の3画目が上に長くインパクトが強い。
「人」の1画目が非常に短く、対照的に2画目が非常に大きい。
義務教育の書道経験では、この形を思いつくのは困難だと思いますし、指導者がいれば修正が最も簡単な場所が、そのままだということは、手本の時点でそういう傾向があった可能性もあります。
私は外国人体験で書道を教えますが、体験者の最終成果物がベストになる手本を心がけますので、作品として良いものではないです(例えるなら年配の方に「らくらくホン」を勧める感じ)。
いわゆるきれいな楷書を求めるなら、習字の先生が慣れていますし、進捗を見つつ、適切な妥協の指導は上手いと思います。
楷書を求める人達へ「楷書以外の日本語の筆記法」
「下手でもいいから自分たちで書く」という行為には賛成です。
正直、読みやすい楷書が希望なら、最も見慣れている印刷のフォントに誰も勝てません。
(前向きに考えれば、楷書を手書きする必要がなくなった→多様性のある書体に注力できる時代が来るとも言えます。)
私の研究テーマと被るのですが、現在の活字体の楷書となった明治以降150年で、書道業界が日本語の毛筆の筆記において日本独自の筆記方法を提示できていないことは問題として残っています。
多様性の時代に、外国文化である楷書以外を認めない風潮は、文化発展を阻害すると思います。
しかし、多様性(つまり新規参入)が誕生いにくいのは、文科省-文化庁ラインが保守すぎるため、新規参入を排除し、結果的に、既存団体を守る大きな力として作用していると感じます。
最後に、文化庁の表札をご紹介して終わりにします(読売系の書家 成瀬映山氏の揮毫)
見る度に「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という言葉を思い出させてくれます。
しかし、文科省-文化庁には、このくらいの”過ぎた行動”をしてくれないと、新たな文化が生まれず、既存文化は徐々に劣化していく気がします。
【悲報】やはり真似をした手本が悪い。
FBで情報を頂きました。
私が予想し指摘した通り、参考にした手本が悪いです。
人事局にとって、初の人事失敗の事例になっちゃったかな?
今回の案件は普通の書家さんに依頼をして欲しかったけど、官僚や秘書に書をわかる人がいないんです。
メディアにも書を分かる人がいないので似た失敗事例が発生しています→MBSプレバト!!の書道の手本が不評らしい
おもしろい記事を拝見しました。
稲田朋美議員の政策はあまり共感するものはないように思いますが、この字はもっと面白い人物に内閣で仕事をしてほしい、という表現とも読めます。
Youtubeのおかげで、昔のテレビ番組を簡単に見ることができるようになりました。1960年代、月光仮面とか、夢であいましょうとか、テレビ画面に出てきた文字は読みやすいのに多様でおもしろい字が多く、ああいうのは現在の画一的なフォント文化のネット社会では「酷い出来」という評価になるのでしょうか。人名などはタイプで出せない字がおおいからか、100人中20番の中年が書いていたのかどうかわかりませんが、とにかく活字調でない字がいっぱいです。
コメントをありがとうございます。
国会中継などで見る稲田議員の雰囲気には、ちょっと似合わない手本かなと思います。
>現在の画一的なフォント文化のネット社会では「酷い出来」
そういう事になるでしょう。
今の筆字は、奇をてらった書が多く、
素人向けに「こういうのがほしいんだろ?」みたいな思惑が見え見えでむず痒いです(笑)
一般の方には「書=漢詩やかな書」という刷り込みに近い先入観があります。
歌舞伎や相撲文字だって書道なのです(その起源となった和様”御家流”も)。
贔屓目で見て欲しいというのではなく、明治以降で書は一方向に偏りすぎたので
情報が溢れかえる今こそ、フラットな視点で筆字を鑑賞して欲しいです。
また、お暇ならご覧くださいませ。