【硬筆と毛筆問題】ペンと筆は鍵盤楽器と弦楽器ほど違う
字を綺麗に書いてほしいから書道を習う
親が子供に習字(書道)を習わせる動機として
「自分が字が綺麗じゃないので、子供には綺麗に字を書いてほしい。」
という話を聞きます。
※ここので「綺麗な字」というのは、世間の人が美文字とか言ってるアレです。
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『毛筆が綺麗な人は硬筆も綺麗』の誤解
そもそも「毛筆が綺麗な人は硬筆も綺麗」という誤解があるようです。
「私の友達で、習字を習っていたから、綺麗な字がかける人がいたよ!」
残念ながら、たまたま、毛筆も硬筆も綺麗な人だっただけです。
当たり前ですが、毛筆と硬筆は大きな違いがあるのです。
ペンと筆は鍵盤楽器と弦楽器ほどの違い
ペンと筆の違いを例えるなら、ピアノのような鍵盤楽器と
バイオリンのような弦楽器ほとの違いがあります。
鍵盤は子供でも鍵盤を叩けば正確な音階で音を鳴らすことができます。
でも、弦楽器で正確な音階の音を鳴らす事は、一定の訓練を行わないといけません。
しかし、鍵盤では出せる音を「鍵盤」で制限することで音を簡単に出すことができますが
逆に、ミとファの間の音を出す事ができません=自由度がありません。
弦楽器は、音を出すのが難しい分、ミとファの間の音階にはない音も出す自由度があります。
筆は最も自由度が高い=最も難易度の高い筆記具
社会同様、自由であればあるほど、それを扱うための難易度が上がります。
筆記具も、全く同じなんです。
筆は最大、根本までインクを使って筆記する事ができます。
一方、筆の自由度(表現力)を抑え、ラインを引くことに特化した筆記具がペンや鉛筆です。
筆記具は、絵ではなく文字という情報技術を記する目的の道具だから可能な改良でした。
そのため、情報技術として綺麗な字を書くだけなら、毛筆の書道はオーバースペックです。
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文字に不要な表現力を除いた結果の「フォント」
音楽を楽しむための媒体の歴史は、レコード→カセット→CD→MD→MP3となっています。
物理的な大きさも小さくなり、音楽を聞くために不要な音は削除(圧縮)されています。
そのお陰で、音楽を聞きながらジョギングができるほど音楽が手軽になりました。
同様に、文字はキーボードになり「書く」という面倒くさい行為から開放され手軽になりました。
一方で、フォントは、個性という手書きの良さ(表現力)をすべて失いました。
(絵文字が日本で発展したのは、失ったフォントの表現力を埋めるためと予想。)
情報技術としての文字は相手が読めればいいので筆記具の違いによる表現力がなくなっても
全く問題はなさそうなのですが…
毛筆の圧倒的な表現力
筆記具による表現力の違いは、言葉で説明するより次の画像を見てください。
CDとMP3の音の差はわからずとも、毛筆の表現力の優位性は伝わると思います。
これが自由度の高い道具の筆の表現力の差です。
ペン字は、フォントよりも個人のクセ字になるので、フォントよりも暖かさはありますが
筆字には到底及びませんね。
文字の表現力を学びたいなら書道教室
会話をするときに、より正確に感情を伝えるために抑揚をつけます。
文字でも感情表現を入れるならば最も自由度が高い筆が有利です。
表現力というのは、独自に開発、習得するのは非常に難しいことです。
(独自の毛筆のスタイルを作るのはプロ野球で活躍するより難しい確率)
そこで、先人達の習得した技術を効率よく教えてもらえるのが書道教室です。
習字の授業では小筆で日本語を書く体験を
寺子屋の時代は、筆しか筆記具がなかったので、文字を筆で学びました。
逆に、今は授業で習ってない文字を、書写(習字)では書きません。
さらに、社会に出て使う可能性の高い小筆ではなく、大筆で行います。
(おまけに、将来は古い外国語の漢文か古い日本語の古文の選択を迫られます。
現在の日本語を書くという選択ができない日本の書道は残念ですけども。)
そのため、書道を長年続けている人でも、長文の日本語を毛筆で書いたことがありません。
それは、かきかたの授業で硬筆をやっているのでやる必要がないわけです。
文章も硬筆で書くので筆で日本語を書く必要はないわけです。
だからといって、古い外国語や古い日本語しか選択肢がないのもしっくり来ませんね。
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