ポスターで見る書道が”使えない”問題

書展ポスターで見えてきた書道の問題点

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上記画像は、東京都美術館が美術館の企画展として開催する書展のポスターです。
書展ポスターに現在の書道、つまり、中華式の”唐様”書道の問題点がわかる一つの共通点があります。
それは、書展のタイトルが、ほぼ”フォント”で書かれているということです。
書道は文字芸術であることが、他の芸術との最大の差別化ポイントです。
日本を代表する美術展が企画した書展のポスターのタイトルに書が使われてない、いや、使えないのです。
読めない美術展のタイトルだと、商業的に問題が出ますから使えないのです。




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文字芸術の書道で「書を感じて!」は美しいか

私達は”和様”と言う「日本式の書」に取り組む日本唯一の書道団体だから認識していることではなく、従来の書道団体でも、昭和初期から「書道が使えない」という問題は共有されています。


「書は”何を書いているかわからない”とシャットダウン(シャットアウト 閉め出し の間違い?)しちゃう。だから、中身を読もうとせず、見て感じてもらう作品作りをしてる。」
と東京都美術館主催の書展プロモーション動画でおっしゃっています。
「一般の方は、読めないから書はわからないと思っている」という問題認識はあるのですが、
「義務教育で習わない筆記体で、一般人をシャットアウトしないようにしよう!書道業界が歩み寄ろう!」
となる人がいないばかりか、一般人に「書は感じるもの」と書道側の都合を解説しています。
実は、書道業界は、この「カンジテ派」しかいません。
実際、私は10代のときに「書が読めない」と言う問題に気づきました。
そこで、私は「お客に感じてほしい!」とはならず、「お客が読めるように書けばいい。」と考え、研究と創作活動を行った超レアケースの生き残りです。
現在は、日本初の「筆記体禁止」の公募書展「和様の書展」を立ち上げて、私の考えに賛同する方を募っています。
私は、「読めないなら読めるように書けばいい」と「読めないなら感じてほしい」の2択なら、文字芸術の書道は、まず前者のアプローチで問題解決を図る方が”美しい”と思うのです。
しかし、「書は読めたほうがいい」という「ヨンデ派」の考え方は、書道業界ではマイノリティどころか、現在、当団体しかいません。
大手新聞の文化部、美術館、博物館、文化庁までも、書道は「カンジテ派」前提でヒエラルキーが作られているため、構造上、多様性が育たない問題にもつながっていると思います。

「絵のように見てほしい」→美術部門に出せば…?

単純に、絵のように見てほしいと本当に思うのであれば、美術部門に出してみるのも一つの方法です。
そうすれば、美術としてみてもらえます(解決してしまった…)。
私達は従来の公募書展に出品して入選していますから、相手の土俵を理解し、対策(審査が公平と言う前提ですが)をして出せば可能です。
さらに、私が主催する「和様の書展」ですら、公募の和様が美術業界でどのような評価を得られるか知るために美術評論家を審査員に入れています。
マイノリティな団体でもできるのですから、出品料だけで数億円集める大規模公募書展なら、もっともっと多くのことができると思います。

まさか…本人達も使い方がわからない?


ダウンタウンさんの「ごっつええ感じ」の「日本の匠を訪ねて」と言うコントがあります。(暇なら動画参照)
伝統工芸品の職人(松本さん)に、使い方などをインタビュー(浜田さん)するコントです。
結局、職人も弟子(今田さん)も、何に使うのかよくわからないというオチですが、書展ポスターに使えない書道の問題と近い部分があります。
自分たちの書展ポスターのタイトルに、自分たちの書が使えないのですからね…。
文字芸術の書道において文字性の否定は、サッカー「足だけ」、ラグビー「楕円の球」、水球「水中」、アイススケート「氷上」、ビーチバレー「砂浜」、鉄棒「鉄棒」、落語「独り」の否定並に、根幹を揺るがすレベルのすごい決断だと思うのです。
いろんな試みを行うことは大事なことですが、サッカーのルール改定で「全員がボールを手で掴んで移動してよい」となると、一般の人からは「それ、ハンドボールだよね?」ってなりますよね。
だから、前述の「絵のように感じてほしい」→「美術展に出せば?」ってなっちゃいます。

「カンジテ派」と「ヨンデ派」

「カンジテ派」100万人と「ヨンデ派」100人(予想)では、内容より規模や数、資金力が重視される現在の日本の仕組みでは勝負になりません。
ただ、第8回 和様の書展で「クセ字コンテスト」を即断し、開催したように、新しい取り組みは小さな規模だからできることだと思います。
大規模になると、出世すれば成功が約束されていますが、出世競争があるので、謎の活動や謎のお金が必要だったりします。
私の書展に来た書道愛好家の方が「自由に書けていいですね」とおっしゃいます。
和様は筆記体禁止なので、日本で最も不自由な書スタイルですが、もしかしたら、書単体ではなく、書展全体から感じた感想かもしれません。
「カンジテ派」の方は「書道は読めたほうがいいよ」という意見を”カンジテ”いるのに、大きな船は、すぐに方向転換ができない不自由さを”カンジテ”ております。


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