あなたの和様は、歌手型?シンガーソングライター型?
「どれも大事じゃない」に笑った
テレビ朝日の「しくじり先生」というのを見る機会がありまして
人生でしくじった人を先生として学校の先生に模して授業をしてもらうというバラエティ。
コンセプトからして面白そうな番組です。
(毎週月曜20時~なので私は配信のため被ってます^^)
私が見せて貰った回に、大事MANブラザーズバンドのボーカル 立川俊之さんが出てました。
今の40前後なら絶対知っている自身のヒットソング「それが一番大事」という歌詞から
「どれも一番大事じゃない」と発言したことでちょっと話題になっていました。
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「大人がCDを買わなくなる理由」に納得
歌の歌詞をいじられているんですが、ちょいちょい書家として共感できる点がありました。
大人がCDを買わなくなる理由で「人生経験を積むと共感できる歌が少なくなる」との指摘。
書道と全く関係ないと思うかもしれませんが、和様をやる人にとっては壁の1つだと思います。
言葉に追いつき追い越してまう現象
「人生経験を積むと共感できる歌が少なくなる」
「経験を積むとどれを言っても陳腐に思える」
歌手ではなく、シンガーソングライターならではの言葉だなと思いました。
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和様では言葉選びがかなり大事
書は技術と道具選びで決まると思っている人がほとんどです。
これは、一般的な書道の唐様やかな書では「文章の内容」が一切不問で優劣が決まるからです。
例えば漢文で
「到房子再容忍,虽然突然被便意攻击了可是回家吧」
と楷書、行書、草書などで書いたら「素晴らしい書作品」となるかもしれません。
和様の場合は日本語になるので、
「急に便意に襲われたけど、家までもう少しだから我慢して帰ろう」
と書くことになります。
全然違う印象・評価になると思いませんか(みなさんは、どうでした?)?
※漢文は翻訳ソフトで、日本語→漢文にしたものを使用。
一般的な書道の唐様やかな書をやっている人は、こういう点を厳密に考える必要はありません。
ところが和様は、「読める」という影響で、言葉がおかしい=作品がおかしいのです。
漢文やかな書は評価において「文章の内容は問わない」という暗黙のルールがあるので
何を書いててもよくわからないですよね(審査する先生方はわかるかもしれませんが…)
でも、和様の場合には、言葉選びや配置のセンスがとっても重要です。
あなたの書は歌手型?シンガーソングライター型?
言葉選びのセンスは、書の技術とは別の能力だと思います。
書が苦手でも、言葉選びが上手ければ、総合的に判断する一般の方は良い作品に見えるでしょう。
ミュージシャンでいうと歌唱力と作詞能力の違いのようなものですね。
今、思いつきでまとめてみました(将来違うこと言ってるかもしれないけどね)
音楽 |
和様 |
歌唱力 | 書道の技術 |
作詞 | 作詩 |
作曲 | 紙面の構成 |
編曲 | 額装・道具選び |
もし、言葉を自分で作るのが苦手だったり、恥ずかしかったり(実際、恥ずかしい)するなら
誰かのフレーズを書く「歌手型」を選んで構いません。
唐様の方はほとんど歌手型で、高村光太郎や谷崎潤一郎、山頭火などの詩をよく見ます。
ただ、私は「シンガーソングライター型」ですが、それには理由があります。
近年の言葉は活字ベースで考えられているので、毛筆にしたら、言葉の響きと書のイメージに
ズレや違和感があったりするので、編集する必要があるためです。
参考までに「しくじり先生」大事MANブラザーズバンドのボーカル 立川俊之さんは
「伝えたい言葉がない」ということで、現在は歌手の選択をしているようです。
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