「読める書」は読めるのか?
「読める書」が読めないのは「勉強不足」
最近、「読める書」というキーワードが書道業界内で増えたような気がします。
そうなると必ず「読める範囲はどこまでか?」という話になります。
熟練者(審査員クラス)の”読める”範囲は広く、初心者は狭いです。
熟練者からは「この程度が読めないのは不勉強!」という主張がでます。
昭和50年代だったり、私が今60代以上なら、これに賛同しますが、今の状況では賛同しかねます。
漢文や仮名を学んで手書きしたいニーズが激減しているというビジネス視点からNOなのです。
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「読める書」国語教育の範囲内
私は、「どこまでが読める書か?」と聞かれたら、私は「日本の国語教育の範囲内で書かれた書作品」と答えます。
しかし、これは今の供給側の書家1000人いて1人いるかどうかのマイノリティですが、需要側の一般人1000人中900人以上が賛同するマジョリティと思っています。
「読める書は読めるのか?」という哲学
トップ画像の書作品は、2017年読売書法展 読売大賞/準大賞の2点です。
8/17 読売新聞朝刊「書2017」で編集委員 菅原教夫委員(書担当)は、
「(この2作品の)調和体で、漢字仮名交じりの読める書に大きな光が当たった」
と書いています。
読売新聞 菅原教夫委員(≒読売書法会)によると、この2作品は「読める書」という主張です。
みなさん、この作品、読めますか?
私の感覚では、一般人には読めないと思います。
読める/読めないの境界
漢文も仮名も知識があれば読める書なので、抽象表現の墨象以外は、超広義的にいえば、すべて読める書です。
しかし、今回のような文章内容が現代文だった場合、「読める/読めない」の議論が発生します。
読売新聞社(というか従来の書道業界)としては、「読める/読めない」の境界は、書いている内容が明治以降の日本語かどうかという点だと都合がよいのです。
それは、続け字、崩し字の筆記体を使うことができるからです。
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活字体の文章を筆記体で書く矛盾
■日本語の筆記「漢字仮名交じり」と主要筆記具の変化
時代 | 江戸 | 明治-昭和 | 平成 | ? |
筆記具 | 筆 | ペン | キーボード | タッチパネル |
筆記 スタイル |
筆記体 | 活字体 |
上の表を見てもらってもわかるように、日本の公式書体は明治以降、活字体です(筆記体:江戸時代は、かな書とは違う続け字、崩し字の御家流。)。
トップ画像の2作品が読めないのは、活字体を使っていないからです。
(例えば、右側作品の中央列 3文字目「に」のようなのは「た」、同行最終文字「ω」の逆のような字は「る」。パターンがあり慣れると読める。)
この筆記体は、過去使われていた歴史的な淘汰を経たものではなく、書道業界が独自で編み出した狭い範囲で通用する独自の筆記体です。
「る」は「留→る」ですが、定着した「る」を、さらに拡大解釈をして「逆ω」というデザインにしています。
本命は「筆記体依存からの脱却」
私は「読める書」が読めるためには、活字体にこだわる必要があると思います。
そのため、わよう書道会の主催する和様の書展で「続け字、崩し字不可」としています。
書道業界が独自の筆記体を生み出すことは問題ないと思います。
しかし、世界最大の発行部数を誇る読売新聞が、業界独自の筆記体を使った書を「読める」と世論誘導(印象操作)するのは健全ではないと思います。
活字体で書けば、文句なしに「読める書」になることは誰も異論がないことは、審査員や解説委員は知ってて蓋をしているんです。
現行の筆記体の漢字仮名交じり文は、それはそれで評価したらいいじゃないですか。
そして、新たな課題(テーマ)として「漢字仮名交じり文の筆記体から脱却」「読める書=活字体」を、勇気を持って書道業界に問題提起していただくだけで、日本の書道文化に多大なる貢献になると思います。
追記 土井汲泉先生からも丁寧な説明「古典がないから敬遠」
この記事は、冒頭の記事の下部にあるものです。
「読める書としての調和体作品への期待が高いだけに」
そうなんです、今回の特選も「調和体でも大賞出すからね!応募してよ!」という政治的メッセージがあるのかもしれません。
「調和体作品は歴史が浅く、古典と言われるものが無いため、どうしても敬遠されがち」
同じことを村上三島氏も言っております。
”古典がないから敬遠されている”ならいいのですが、私は、今の読めない調和体に支持がない可能性を疑っているのです。
かといって、上部表でも書いたように、今の日本語を筆で書いた時代がないため、古典がない=前例がないので、作らなければならない。
前述しているように、業界全体で「読める書=活字体」を認め、業界一丸となって、未来のために「和様」を成立させる必要があるのです。
ということで、【PR】和様の書展作品募集中【PR】です!
追記2「書は読めなくてもいい」by 九州国立博物館 島谷弘幸館長(元東博副館長)
「書は読めなくてもいい」。毎日新聞日曜版に連載する「書の美」を収めた自著「東京国立博物館の名品でたどる 書の美」に付いた帯の文句が話題を呼んだ。「線や形、墨の色から感じるのがいい。勉強ではなく楽しむのです」と言う。
多様な意見が必要だと思うので、真反対の人の意見も載せておきます。
「書は読めなくてもいい」は「読めてもいいが無理に読めることに拘る必要なない」という従来の考え方を踏襲しています。
この考え方は、戦後継続している方針であり、ここ20年以上、業界は右肩下がりです。
その方針で進んでいいのかな?と疑問を持っているのが私です。
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