語りかけてくる”定礎”
文字が勝手に目に入ってくる癖
学生の頃、書のことばかり考えていたら、気付くと勝手に文字デザインが目に入る癖ができました。
今でも普段の生活で、街の看板などから無意識で情報集めしている気がします。
初めて入った表参道のビルから出た際に、目に飛び込んできたのがこの定礎。
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”定礎”が語りかけてきた
目に飛び込むといっても、特殊なことではなく、みなさんも、たぶん街で好みの異性がいたら
目に入っていくるでしょ?あれ。あれが、私の場合には文字とか線の造形なんですよね。
(あ、もちろん女性も並行して見られるんですけども)
定礎なので、足元10センチくらいのところにあるんですが、目に入っちゃうんですよ。
そして、迷わずカメラのシャッターを押していました。
「美しい文字」はデジタル、語りかけてはこない
ブログなどでも何度か書いていますが、世間の人が思い込んでいる、いや、刷り込まれているといってもいい
美しい文字(美文字?)や楷書は、最もデジタルに近い書です(こういう表現は初めてか・・・)。
あくまで情報を伝えるための活字に最も近い立ち位置で、正しく文字情報を伝えますが、
それ以下にならない代わりに、見た人に、それ以上の情報を与えることもないです。
広告文字は筆文字に憧れ?
見たことがある広告だと思います。
明朝体やゴシック体の活字を、サイズ、配置、一部はデザインも変更しています。
読みやすい活字を使って活字以上の情報をなんとか作り、消費者に訴えるデザインの工夫です。
これと比較してください。
「自作サンプル」の単純な活字より、広告の方がアイキャッチ(目に止まりやすい)し
さらに「角ハイボールがお好きでしょ。」の文字から、より楽しそうな雰囲気が伝わってきませんか?
【情報量の比較】
サイズ、配置、一部デザインを変更した活字 > 単純な活字
つまり、文字情報+α(何か)がある分、広告の活字の方が情報量が多いということです。
手書きをせず、限られた面積で、より多くの情報を消費者に与えるための工夫です。
活字は正しく情報を伝えるためには便利ですが、限られた中で、より多くの情報を伝えたいなら
単純な活字では力不足になりつつあるということでしょう。
もし、これを超える「手書きの毛筆」があるなら高い評価をされると思っています。
フォントをいじる作業は大変で、私だと”筆で書いたほうが、はるかに早い”のです。
つまり、活字をリデザインする時間が短縮されるなら、作業の人件費分は最低でも価値があります。
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「”美しい文字”は日本の手書き文字界 最弱!」
いわゆる”美しい文字”が評価されるのは”美しくない文字”と比較した場合です。
それは、最も情報量が少ない文字の活字に近いからです。
情報量が多い他の書(筆文字)と比較すると、どうしても分が悪い。まあ、勝負になりません。
(だから、書展では、世間の評価する”美しい”初唐の楷書作品がが少ないのだと思う。)
しかし、ここは日本。日本語じゃないとダメ。
そのため、従来の中華の書を突き詰めても、日本語の書、つまり、和様の書は発生しないと思います。
私は和様も、将来生まれる和様スタイルの踏み台にしかならないかもしれません。
まだ誰も見つけてないだけで、他に和様スタイルの方向性だってあるかもしれません。
残念なのは、ここに興味を持っているのは、まだ唐様中心の書道業界ではないかもしれません。
必要に迫られて活字いじりをセざるを得なくなった広告業界の人のほうが興味が強いかもしれません。
「定礎」の作者は、絵手紙の小池邦夫氏
私がビルの入口で「定礎」の写真を撮っていたら、階段を降りてきた年配の方から話しかけられました。
「その”定礎”は、絵手紙の小池さんだよ。」
と教えてくれました。
どうやらこのビルのオーナーさんらしく、いろいろな美術鑑賞が大好きだそうです。
絵手紙も、”読める書”の書き方を体型建てて教えていれば、和様の一つだったのになーと思ったりしています。
この”定礎”よい書だと思います。
ただ、”定”と”礎”で下部の”人”が被っている部分の処理だけはもったいないと思います。
”定”の”人”を普通の長さにして”礎”の”人”を伸ばしただけという点は、私達に残された課題の一つですね。
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