抽象書家 石川九楊氏「誰もが読める書を」 何があった?


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書だ!石川九楊展

石川九楊氏の書展が2017年7月30日まで上野精養軒で行われています。
石川九楊氏は、NHKなどにも相当な出演歴をお持ちで、研究者、評論家のイメージがある書家です。
そして、石川九楊氏の作品は、こんな感じです。

石川九楊書額「根付の国Ⅱ」 石川九楊『般若心経』(はんにゃしんぎょう)
他に見たい場合にはまとめを見てください(ぜひ見て次の話に進んでください)。
ご存命の書家の中では、ご自身のカラーがしっかりある作品を作られます。
誤解を恐れず、ざっくりいうと「何だこれ!」ってなる前衛・抽象表現の作品ばかりです。

あの石川九楊氏「誰もが読める書を」って、まじですかwww

毎日新聞で、新聞半面以上&カラーでインタビュー(2017/6/30)が掲載されていました。

https://mainichi.jp/articles/20170630/dde/012/070/031000c

リンク切れになるので引用記事として画像を載せます。(ラインは生徒が引いたもの)
image6
インタビューの後半に、石川九楊氏が目指す新たな地平として「誰もが読める書を」と答えていました。

72歳の書家の目指す新たな地平とは? 石川さん、ぼそっと言う。「誰もが読める書を」

意外な答えだった。確かに彼の書を読み解くのは、素人には暗号並みに難しい。でも行儀の良い習字のような字を目指すわけもなかろうに

「いびつな時代を追いかけるうち、僕の書は異様な形に変わり、なかなか読み取りづらいものになった。しかし誰にも理解できる書にならないとホンモノではない。いずれは一見平凡で凡庸な書で時代をつかみたい

なぜか。「理想があるのです。誰もが普通に字を書き、そのどれもが美しい、そんな世界。書は言葉です。誰もの書や言葉が美しく、大切にされる世界を築くために、書もまた、誰もが読めるほうがいい

いやー、びっくりです。
作品を見てもわかるように、石川さんは、読める書から最も遠い書家の一人。

晩年になると読める書を書きたくなる傾向?

村上三島氏も読売書法会に調和体部門を作ったのは1995年、村上三島氏 83才のときです(2005年 93才没)。
今回の石川九楊氏も72才と晩年(失礼かな?)だと思います。
もう10年以上前、、「読める傾向」が明確だったので、立ち寄った書展。
主催が仮名の大手審査員クラスの女性でした。
「今まで何十年と仮名を書いてきたけど、こんな歳になって(70才過ぎ?)、自分の書は誰も読めないってことに気付いたの。どうせなら、書も読める方がいいなって、新しいチャレンジよ。」
と、石川九楊氏と同じようなことをおっしゃっていました。
これを覚えていたのは、高い技術を持っている書家でも、和様へ応用するのは難しい、つまり、予想していた、和様は”ない”のではなく、難しすぎて”作れない”んだと確信に変わったからです(とんでもない趣味になったなーと当時は思ったものです)。

行儀の良い習字のような字を目指すわけもなかろうに

記者さん、一般の方は、「読める=習字」をイメージするしかないと思いますが、ちゃんと私達がいます!
気付いてもらうように、アピールするしかないのかな。
今回の記事で不思議なのは、石川九楊展は主催 日経新聞なんですよね。
そこに、日本最大の書道団体を傘下に持つ毎日が特集記事を書くという謎連携。

もっと早く気づけよ!

もう、こういうツッコミしてしまいます。同時に、抽象表現を極めた方が、こういう発言をしてくれることに感謝です。(テレビでしか知らないけど)
和様の活動をしていると「読める」価値を低く見ている専門家はたくさんいます。
(それが一般人に影響を及ぼしています。)
和様にとって、援護射撃だと勝手に受け止めます。
現時点では、石川九楊氏が「読める」の定義をどこにおいているのかわかりません。
(今回の書展のタイトル「書だ」(TOP画像)を見る限り、読めません(笑))
石川九楊氏はまだ72才なので、今後、どのような”答え”を出してくるのか楽しみです。
私は別のインタビューで答えていますが、和様は「上級者カエルが初心者オタマジャクシの水中で勝負するハンディキャップマッチ」です。
上級者であればあるほど、プライド、技術、知識、経験が邪魔をします。
チャレンジってそういうものですが、それをしないと”読めない”「読める書」になっちゃいます。
あと、石川九楊氏を支持して来た人は、いきなりの方向転換なんで、どうすんだろうね。
路頭に迷ったら「わよう書道会」へお越しください(笑)
和様の書展と審査員は、あなたのチャレンジを待っています。

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コメント

    • mori
    • 2017年 10月 25日

    こんにちは。

    最も読みやすい字は新聞の活字。そしてその活字の各線、間隔、太さ、etc. を変化させていけばいくほど、読めない字になる。と同時に、書き手独自のスタイルのようになっていく。であってますね?

    そこで、仮に読みやすい活字という物を大きな紙の中心に置く。 そして、その活字を少し変化させた字(ちょいと読みにくくなった字)を活字の横に置く。さらに変化させた字(さらに読みにくくなった字)をまたその横に置く。活字の上部を変化させたら活字の上に置く。活字の下部を変化させたら活字の下に置く。

    こうして、読みにくい字ほど中心から離れるように配置していくと、この変化というものが360度の方向に無限に広がっていくのが分る。すると、1万人の書家がいても、10万人の書家がいても、その無限円のどこかに自分の居場所(=個性)を構えられるでしょう。

    逆に、読みやすい活字、つまり中心に向かって居場所を移動させようとすると、どんどんその自分だけの居場所は確保できなくなる。つまり、円が小さくなるから、仮に直径の50cmの円内に1万通りの書体は書けないわけです。すると、他人の居場所と重なってきたりすると、それはつまり、個性が薄れ、書家AとBは似ているね、となる。芸術家はこれを嫌う。

    だから、九楊さんは、その中心からはるか遠く離れたところに居場所を見つけ、安住していたのです。今、だれにでも読める字を書こうとするなら、中心に少し寄ってくるわけです。まあ、あの定規で書いたような字の線の配置を少し活字に近づけるつもりかな? 都心に独自の住処を作るのは誠に困難だと思います。

      • udoyoshi
      • 2017年 10月 30日

      こんにちは。
      私は学者ではないので、1000の評論より、1つの実践を優先しています。
      mori様が書いていただいた内容は、文字の「福笑い」だと思いますが
      私は指導の際に、それをもう一つ進めたものを行っています。

      読める書は文章が前提です。
      活字単体でも、書かれているような複雑さなのですが、
      現実的に筆記ができて、文章にして不自然じゃないデザインを構築する必要があります。
      この辺に考えがおよぶ方が、今日本にどのくらいいるのか、把握していないのですが
      多くの方が居てくれたらいいなと思います。

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