榊莫山氏「むつかしい漢字を続け字で書いて、そんなん誰もよめへんやろ」
先生「我流になる」と和様を諦めた人は多い
最近、参加された生徒さんから
「20年ほど、和様をやりたかった。でも、先生から「我流になるから」と言われて諦めていた。」
という話を聞きました。
この話を聞いて、私も学生時代に同じことを複数の先生や先輩から言われたことを思い出しました。
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臨書は過去問、我流のために最も効率がよい資料
私が臨書をしたり、歴史を調べるのは「我流」を作るために最も効率が良いからです。
(そもそも臨書以外の練習方法ってあるのか?)
臨書は、受験で例えると「過去問」です。
臨書に使う法帖は「淘汰されて残ったデザイン」=「過去に出た問題」だと考えるといいです。
だから、臨書を全く勉強しない人は、受験で「俺は過去問を一切、解かねぇ!」と頑張る人です。
臨書を知らず書を頑張る人の作品が皆、同じ雰囲気なのは、皆、同じ壁で停まっているからでしょう。
そして「同じ人がたくさんいる=我流ですらない」ってことです。
あえて言おう!臨書では我流は生まれない
受験やMBA資格を極めても、かつてのソニーやトヨタ、ホンダ、最近のグーグルやfacebookは作れないってことです。
我流になるには、最低でも、既存の状態を変えるための独自の解釈や技術が必要になります。
「むつかしい漢字を続け字で書いて、そんなん誰もよめへんやろ」
たまたま過去記事で見つけたものです(2006年11月24月号の週刊ポストより)。
榊莫山氏の作品から、我流(オリジナル)と可読性の重要性に対するこだわりは伝わってきますが、言葉として具体的に見たのは初めてです。
まさか、“続け字が読めない原因”と明確に発言されていたとは驚きです(私も同じ考えです)。
榊先生に私達の和様の活動を知ってほしかったような気もするし、それを聞いてしまうのは怖い気もします。
ただ、このような資料が残っていることで、私達の活動の方向性は間違ってないんだろうと思うわけです。
野口シカの手紙
最後に野口シカの手紙(1912年)の画像を載せておきます。
実は、私は子供の頃、野口英世の伝記漫画をすごく愛読しており、英世の母の野口シカの手紙も記憶に残っています。
いつか、こんな思いの詰まった書を書けるといいなと思いますが…。
ちなみに、野口英世が、留学のための大事な金で酒を飲んで、人に金を借りて留学したということなど、よくいる人間だったことを知り、がっかりしたものです。
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